花葬/チョロ一
一松は昔、「本当は紫色なんて嫌いなんだ」と言っていた。
同じ顔がいくつもあるこの家の中でカラーアイコンというものは重要になり、いつしか好みというよりは義務化となっていた矢先にまるでわがままを言う子どもみたいにあいつはそう言った。別に嫌いなもんは嫌いなままでいいと思うし、あいつが別にその色が嫌いであってもきっとそのままずっとその色を身につけるのだろうということは知っていたので、その時にはふうん、なんて生返事をしていたが、まさか今になって後悔するとは思わなかった。僕は、あいつの好きな色を知らない。僕だけじゃないだろう、兄弟全員があいつの好きなもののことをきちんと知っているわけじゃない。好きな色も、好きな食べ物も、好きな動物──は、猫だって知ってたけど──、それから好きな花とかも。
一蓮托生の六つ子であっても、どうやら寿命は違うらしい。それを痛感したのが昨日の午後だった。松野家四男、松野一松はよそ見運転の車に突っ込まれて死んでしまった。なんともあっけない事故死だ。あまりにも突然のことだったので全然理解が追いついていないというのが正直な話だった。弟たちが泣き、両親が泣き、兄たちはじっと堪えているのを僕はなんだか夢の中にいるような感覚でぼんやりと見ていた気がする。そんなことより確か今日はにゃーちゃんのライブの日で本当はそっちに行きたかったなんて言うのは、いくらにゃーちゃんのことが大事だからって、さすがに憚られた。推してる地下アイドルのライブと兄弟の葬式だったら、一般的に考えると兄弟の葬式のほうが大事に決まっている。
ということで、このクソ暑くてクソダルいクソ天気のいい真夏の昼下がりに、蝉の声と一緒に坊さんのお経を聞いている。お通夜から葬式まではあっという間だった気がする。手慣れたように両親が葬儀屋に連絡をして、あっという間に通夜が始まっていた。それからなぜそんな習慣があるのかは理解できないが、亡くなった人物が寂しくならないように添い寝をするというものがあり、うちの家族もそれに倣った。平行して線香の火を絶やしてはいけないので代り代りに一松が安置されているリビングの一角に身を置き、酒を飲んだ兄弟たちがそこで思い思いに一松の話をしていた。僕はひどく眠くてしかたがなかったので火の番には参加しなかった。
今日の天気は晴れ、入道雲が出ている。遠くの方では通り雨が降るらしい。それなのにみんな黒い服を身に着けて、これじゃ誰がどれなのかわからないよと親戚に言い捨てられたことを思い出す。早く終わらないかなと、そればかり思っていた。シャツが汗で背中にへばりついていて汗が次から次にこぼれ落ちていた。この狭い家に何人もの人間が押し込められていて意味を成さない。団扇で扇ぐのはお坊さんに対しての無礼だとかなんとかいうのでみんなそういうことはしない。あの自分自身がルールって顔をしているトト子ちゃんでさえ。ていうかなんで真夏に死んじゃったかなあ。こんな人数じゃクーラーもクソもないだろうに。死ぬのはいいけど季節を考えろっての。
お焼香を終え、坊さんの声が止み、最期のお別れの時間がやってきた。みんな一様に棺の中を覗き込みながら花を置いていく。涙を流して名前を呼ぶ。なんだかドラマのワンシーンをみているような気持ちだった。
順番が回ってきて、僕も棺の中を覗き込んだ。顔は少し化粧をされているようで、病院で見た時よりはなんだかニセモノのように見えた。一松のニセモノがそこに居るんじゃないかと思った。死んでいるなんてとても思えない。そんなことよりもこんな狭い入れ物に入れられて可哀想だなと思った。狭い入れ物に、一松じゃない色の服を着せられて、好きじゃない色や好きじゃないものに囲まれて。
「……死んだ人間をこうも盛大に飾り立ててちゃ、一松も成仏してもしきれないんじゃないの」
ぽろり、と出た言葉に、目線がこちらへ集中する。口に出そうとは思ってなかった。カラ松が咳払いをして一言、不謹慎なこと言うな、と言った。あまりに正論すぎて僕は思わず笑ってしまう。
「不謹慎? 好きでもないものに囲まれて見世物にされてるほうがよっぽど不謹慎だろ。別に一松は、花が好きだったわけじゃない」
「じゃあ猫でも入れてやるか?」
冷水をかけられたと思うほど、おそ松の声がいつもより冷たいということだけはわかった。目線を合わせるとやはり熱はそこにあるわけではなくて、言い捨てるような投げかけ方だった。一松はピクリとも動かない。
「そこら辺でのたれ死んでいる子猫でも拾い上げて、棺の中に入れてやれば、あの世でも友達と一緒に逝けるもんなあ?」
「おいやめろおそ松」
「何もそこまで言ってねえだろうが!」
「チョロ松!」
「そういうことだろ! お前が言ってることは! じゃあお前が一緒に入ってやるか? あァ? 手伝ってやるよ!」
「ちょ、ちょっと、兄さんたちやめなって!」
目の端でトド松と葬式業者の人が慌てた様子でこちらを見ているのがわかった。僕はおそらく、おそ松兄さんに殴りかかったのだと思う。だと思う、と曖昧な表現なのは、そこから僕の意識はぶっつりとなくなったからだ。
はっと意識を取り戻す。そこは川の畔だった。少なくとも、僕が知っているどの川でもないように思えた。しかしそこには花が所狭しと咲いていて、よく見ると季節が曖昧だなあというのがわかる。
あたりを見渡すと、ひとつそこに人影が見える。よくよくみるとその顔は、僕のよく知る顔だった。よく知る顔というか同じ顔なんだけど。僕はなぜそいつがここに居て、なぜ川をじっと見ているのか、なんとなくだけどわかる。
「一松?」
声をかけるとそいつはゆっくりとこちらを向いた。それから眉を潜めて何してんの、とぶっきらぼうに言う。
「いや、それはこっちのセリフなんだけど」
「何って……そりゃ死んだから今からあっちに行くんだよ」
あっち、と指を差したのは川の向こう側だった。川はどこから光があたってるのかわからないのにキラキラと光っていて、透明に見えるのに深くてなんだか得体が知れない。僕が知らないはずだ、だってここはきっと三途の川。
一松は白い死装束のような服を着ていた。肌は白く、なんとなく顔色が悪い──のはいつものことか。けれどなんとなく白い服の一松が見慣れなくて少しドキドキしていた。違う色を身につけると、お前がお前じゃないみたいで。
「お前も死んだの?」
「死んでない! ……多分」
「じゃあ早く戻りなよ」
人を見下したようないつもの笑い方をしてこちらを見たあと、意を決したように一松は一歩前に踏み出していた。僕は思わずその腕を取る。体温は感じなかった。ここが精神的な世界だからなのか、一松がもう本当に死んでいるからかは、わからないけれど。
「本当に行くのか?」
「だってもう死んじゃったから」
「なんで死んじゃったんだよ……」
「運が悪いから」
「確かにお前は運が悪かったよ。賭け事はいつもお前がビリだし、くじ引きで5等以上あたったことないし、じゃんけん弱いし、麻雀できないし。だからって死ぬことはないじゃん」
「そんなこと、おれに言われても……」
確かに、本当に恨むべきは事故を起こした相手だ。あいつのせいで一松は死んだ。一松はあいつに殺された。けれど一松は運が悪いって笑うんだ。笑ってこのままいこうとしてる。僕はその腕を離すことができなかった。本当なら笑って見送るべきなんだろうっていうのもわかってる。お前の葬式とにゃーちゃんのライブを天秤にかけたことを謝るべきなのもわかってる。葬式の時早く終わればいいなってそればっか考えていたことも、本当は謝らなくちゃいけない。わかってる、わかってるんだ。でもこどもみたいに声が出てこない。みんなはどうしたんだろう。どうやってこいつにお別れを言ったんだろう。
「じゃあ一緒に行く?」
一松は僕の腕を振りほどくこと無く、初めて聞くであろう酷く優しい声色でそう訪ねた。一緒に? どこに? 決まっているだろう、この川の向こうだ。
「い、行くかよバカ!」
「ふ〜ん、そう」
残念がる様子もなく、今度こそ一松は丁寧に僕の手を自分の腕から引き剥がす。そうすると急に、心臓の奥が締め付けられる感覚が全身にかけめぐる。嘘だろ、本当にお前行くのかよ。僕はそうしてすぐにそれを幻覚だと思い込んだ。もしくは僕が見ているただの夢だと。絶対そう。だって死んだ人間に会えるわけがない。会えたとして言葉を交わしたなら、それは僕が見ている幻覚に決まっている。一松があんなこと言うわけないじゃないか。
「残念だなあ。お前はこっち側だと思ってたのに」
はっと顔を上げると、ぽちゃん、と一松は入水した。あ、と声を上げて僕が名前を呼ぼうとすると視界をかき消すように風が吹き、むせ返るような花の匂いがする。
「いつでも待ってるから」
風の中で一松の声がした。したような、気がした。
ふと意識を取り戻すと、夕暮れの涼しい風が頬を掠めていた。まるで起きなさいと言っているようなその風はどうやら窓からこぼれていて、ふと目をやると枕元には清涼飲料水とまだ固まっている氷枕が置いてある。カラスの鳴き声が遠くで響いていて、線香の残り香が鼻をかすめた。聞き耳を立てても誰の気配もないことがわかった。
きっともう火葬も納骨もすべて終わっているんだろう。なんだったら今、寿司でも食べてるかもしれない。僕と一松を置いて。でもお土産は多分僕の分だけだ。だってもう一松は死んでしまった。死んだんだ。死んだ。ああ、いっちゃった。
ふと風にのって嗅いだことのある花の匂いがした気がした。あの川で嗅いだような気がする。でもなんの花かはわからない。あの時聞いておけばよかったなあ、と思い至って、もう二度と聞けないことに気がつく。そうして僕はあいつのいない世界で初めて涙を流した。
by せさみ
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